財産税とはどんな税金だったのか(前編)
前置き
2018年度の予算案がこれから国会審議に入るが、基礎的財政収支はやや改善(2017年度予算では▲10.8兆円、18年度予算では▲10.4兆円)しても赤字であることに変わりはなく、平成28年末の一般政府債務残高は対GDP比で239%[1]に上っており、日本の財政が危険水域にある状況は続いている。
日本の財政がこれほどまで悪化したのは終戦直後ぐらいである。当時は、その巨額の債務に対応するため、預金封鎖を行い財産税を課し、戦時補償を事実上切り捨てるために戦時補償特別税を課すなど、なりふり構わず債務軽減を図ったが、今後、似たようなことが起きないとは言い切れない。
そこで、当時のことを色々と調べようと思ったが、戦時補償特別税が実施される可能性はないため、現在でも実施される可能性が無い訳ではない財産税について調べることとし、その結果分かったことを自分なりにまとめてみたい。
なお、本記事は 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第7巻 租税(1)』の内容をピックアップしながら、他の資料のデータも適宜引用する形でまとめている。
財産税の概要
1946年3月3日午前0時の時点で、当時の日本国内(北方領土、小笠原諸島、沖縄県、鹿児島県大島郡、島根県の竹島が除かれている)[2] に在住していた個人、その時点では日本にいなかったが財産が日本にあった個人、その時点から2年以内に日本に戻り1年以上居住することとなった個人に対し、その所有していた財産の額に応じて一度限りの税金を課したもの。
その税収の見込み額は、当初は「個人財産税、法人財産税、個人財産増加税および法人戦時利得税」の4つを合わせて1,000億円と見込んでいた。
この4つの税のうち、個人財産増加税および法人戦時利得税は、戦時利得を没収して戦争により生じた富の偏在を解消し、膨大な通貨量と購買力を回収してインフレ阻止につなげようとした税[3]であるが、こうした問題は軍需補償の打ち切りで対応することになったためボツになり、法人財産税は連合軍が難色を示したこともあってこちらもボツになった。結局、個人財産税だけが実施されることとなり、税収見込みは1,000億円から435億円に縮小した。[4]
実際の税収は、現金と国債での納税が約294億円、物納された財産の合計額が約115億円、その物納財産から得られた売払代金や貸付料等の歳入が約67億円であった。[5]
財産税の簡単な経緯
財産税は、巨額の政府債務の返済資金を確保するために検討が始まり、さらに、戦時利得の排除や富の再分配、インフレ対策といった目的が加わって実施に向けた検討が重ねられた。
そして、GHQとの協議も重ねたうえで、最終的には次の点を前面に出す形で実施されることとなった。
では、終戦時の日本政府がどれだけの債務を抱えていたかであるが、当時の債務の額と、債務の規模を把握するために参考となりそうな数値は次のとおり示す。国債の残高はGDPの2倍以上、税収の17倍に上り、それに戦時補償債務も負担しなければならないという極めて厳しい状況であった。
これらの債務を処理するために様々な方法が考案され、例えば以下のような方法が検討された。
それぞれの方法に対する検討結果は次のとおりであるが、いずれの方法も問題ありということで、結局財産税と戦時補償特別税を実施することとなった。
官業(現在のJRやNTT等)や政府資産の売却益で返済
当初は官業と国有財産の払い下げが検討されたが、現在の混乱期は望ましい民営化のあり方を検討する時期ではないとして官業の払い下げは見送られた。[12]
確かに、JRやNTTを民営化するときでも何年もかけて民営化の方法などを議論したのだから、戦後の混乱期に短期間で民営化の方法を決めるのは無理があるし、大急ぎで民営化していても大きなトラブルが起きていたことは充分予想できる。
国有財産の払い下げについては、速やかに売却しようという意見がある一方で、経済も社会情勢も混乱し、都市計画も定められない時期に売却するのは好ましくないという意見があり、結局、売却による収入増加には消極的となった。[13]
債務破棄
国債の債務破棄については、「大蔵省として天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏み潰すということはとんでもない話だ」ということで採用されなかった。
軍需企業への戦時補償を踏み倒すという案も出たが、それを行うと、軍需企業が取引先への支払いをストップして取引先の経営が行き詰まり、一方で金融機関への返済も滞ることから、不良債権が増加した銀行が貸し渋りなどに走ってしまい、さらに、国民が債権債務の関係を尊重しなくなってしまう、といった問題があるとして、この方法も採用されなかった。[14]
軍需企業への戦時補償を踏み倒すという案も出たが、それを行うと、軍需企業が取引先への支払いをストップして取引先の経営が行き詰まり、一方で金融機関への返済も滞ることから、不良債権が増加した銀行が貸し渋りなどに走ってしまい、さらに、国民が債権債務の関係を尊重しなくなってしまう、といった問題があるとして、この方法も採用されなかった。[14]
終戦時の国債の保有者別の割合は明確ではないが、推測すると、金融機関が6割、政府が3割といったところである。[15] 国債を踏み倒した場合、金融機関は資産の一部を失い預金の払い出しに支障をきたすし、政府の保有分も8割以上が預金部(郵貯)のため、資産の一部を失えば郵便貯金の払い出しに影響が生じてしまう。
一方、軍需企業相手の債務を踏み倒した場合、企業は国家総動員で戦争に立ち向かい、政府の命令で軍事物資生産のための設備を整え、米軍の空襲で被害を受けていたのだから、国がそうした企業に余力がないと考えていたとしても不思議ではない。企業の余力がなくなれば、その影響が取引先からメインバンクにまで悪影響を及ぼすのは当然であり、そうした問題を避けるため、戦時利得は税金で徴収する一方で、正当な補償は行おうとしたのは正当なものと思われる。
結局は戦時補償は打ち切ることとなるが、それはGHQの意向によるものであった。
インフレによる実質的な債務破棄
インフレによる債務の実質的な減額については、大蔵省内で「インフレで帳消しにしよう」と積極的に進めたわけではなく、省内でも詳細に検討しなかったようである。ただ、インフレが悪性インフレになることが現実的に懸念され始めた1945年の年末には、インフレが進めば債務負担が減少して国民負担が減少すると認識していたようである。[16]
ただし、インフレが国民負担を減らすと認識し、その後もインフレが急激に進んだにもかかわらず、戦時補償の打ち切りや財産税を実施したのだから、認識しても行動は変わらなかったと言えそうである。
利子の切り下げ・無利子化
利子の切り下げについては、政府でも検討はされたものの、財産税と財産増加税の実施で債務を処理する方針が決まった際に、「この際としては公債の利払停止ないし借換等を行うはその時期に非ず(カナをひらがなにし、旧字を現代風に修正。)」として斥けられた。
財産税の対象財産
対象財産を列挙するのではなく、対象外とする財産が限定的に列挙される形になっているため、財産税法(以下「税法」)第10条に定める財産以外は全て課税対象とされている。そのため、不動産、有価証券および現金は当然ながら、仕掛品や農産物、書画骨董品まで対象となった。対象外とされた財産は次のとおり。
対象財産の評価額
財産税は、課税対象の財産評価額の合計を基に税額を決めることから、評価方法は重要な点となる。評価時点と評価方法は以下のとおりである。
評価時点
財産税法には「課税対象財産の評価時点は〇〇年〇〇月〇〇日とする」という形では明記されていないが、法律の各条文や要綱や帝国議会での提案理由説明を見ると、1946年3月3日を評価時点としたようである。現在の感覚からすると、評価時点は最重要ポイントであり、法律に「課税対象財産の評価時点は〇〇年〇〇月〇〇日とし、各財産の評価方法は次のとおりとする」というような形で書くべきだと思うが、そうはなっていない。
評価方法
主な財産の評価方法は次のとおりである。
- 土地及び家屋
- 賃貸価格に財務局長が定める一定の倍率を乗じた金額(税法第25条第1項, 同法施行規則第20条)
- 預貯金
- 1946年3月3日時点の残高(税法第29条)
- 公債
- 原則として発行価格(税法第30条第1項)
- 株式及び出資
- 一定期間の取引価格を基に財務局長が決定した価格 or 1946年3月3日時点の当該法人の財務状況と、その後の財務状況の変化を踏まえて財務局長が決定した価格(税法第30条第3項, 同法施行規則第20条)
財産税の税額の計算方法
上記のとおり財産税の対象財産を評価したら、次は税額を計算することとなる。
税率
財産税の税率は税法第23条に定められており、表にすると以下のとおりである。なお、同法第22条第1項で、課税価格が10万円以下の場合は非課税となっている。
課税価格の区分 |
税率 |
---|---|
10万円超11万円以下の部分 |
25% |
11万円超12万円以下の部分 |
30% |
12万円超13万円以下の部分 |
35% |
13万円超15万円以下の部分 |
40% |
15万円超17万円以下の部分 |
45% |
17万円超20万円以下の部分 |
50% |
20万円超30万円以下の部分 |
55% |
30万円超50万円以下の部分 |
60% |
50万円超100万円以下の部分 |
65% |
100万円超150万円以下の部分 |
70% |
150万円超300万円以下の部分 |
75% |
300万円超500万円以下の部分 |
80% |
500万円超1,500万円以下の部分 |
85% |
1,500万円超の部分 |
90% |
税額の計算方法
税額は、単純に「課税価格 × 課税価格に対応する税率」で求めるのではなく、税法第23条の「財産税は、課税価格を左の各級に区分し、逓次に各税率を適用して、これを賦課する」という規定に基づいて、課税価格を金額毎に区分して税額を計算していた。
具体例を見た方が分かりやすいので、課税価格が145,000円の場合の税額の計算式を示す。
財産税の徴収方法
税額の申告
原則として、納税者が自分の財産について1946年3月3日時点(調査時点)の評価額を計算し、評価額が10万円を超えていれば税務署に申告する申告納税の形を採用した。なお、財産税の申告納税は、戦後最初に行われた申告納税であった。
戦後初めての申告納税であったことから、申告漏れが発生することが予想された。実際、期限内の申告は、当初の予想額の6割余りに過ぎなかった。そうした申告漏れなどに備えるため、税法第46条第2項で、納税義務があるはずなのに申告されない場合や、財産の一部しか申告してこない場合、国が財産調査して課税価格を決定するという規定が設けられた。
さらに、同法第62条で、50万円超の課税価格の申告についてはその内容を公告することとし、同法第64条では密告制度も設けた。もし、密告により政府が追徴課税できた場合、追徴できた額の25%以下の範囲(10万円が限度)で報奨金が支給されることとなっていた。
申告期限
申告期限は、税法第37条で「命令で定める日までに」と定められており、当該規定に基づく同法施行規則第30条第1項で、1947年1月31日が申告期限と定められた。
納税期限
税法第40条第1項第1号で、納付期限は申告期限から1か月後とされていた。そのため、上記の申告期限までに申告した場合、1947年2月28日が納付期限となったと思われる。
実際の課税状況
この点については、これ自体でも分量があることから、次の記事で書いていく。
参考文献
- 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第7巻 租税(1)』
- 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第11巻 政府債務』
上記の資料は 昭和財政史-終戦から講和まで : 財務総合政策研究所 で入手可能。
1. 財政制度審議会『平成30年度予算の編成等に関する建議』p.1
2. 除外する地域は財産税法の施行期日等を定めた勅令第548号で定められている。
3. 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第11巻 政府債務』p.81
4. 税収見込みについては、経済企画庁編『戦後経済史 1 総観編』東洋書林, 1992年, P.35
5. 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第19巻 統計』P.229,289
6. 同上, p.302
7. 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第11巻 政府債務』p.34-37
8. 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第19巻 統計』p.152
9. 同上 p.165
10. 溝口敏行・野島教之『1940-1955年における国民経済計算の吟味』(『日本統計学会誌』第23巻第1号, 1993年, pp.91-107) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjss1970/23/1/23_1_91/_pdf
11. 経済安定本部『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』1949年, pp.56-57 https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F2007021516460707126
12. 大蔵省財政史室編『昭和財政史ー終戦から講和まで 第11巻 政府債務』p.65-68
13. 同上, p.69
14. 同上, p.86-90
15. 同上, p.16-17
16. 同上, p.97
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