日本メーカーは電気自動車でもスマホと同じ立場になるのだろうか

先日、Twitterでこのようなやり取りを行なった。

電気自動車は、単なる自動運転というだけでは大したメリットはないと思うが、シェアリングサービスと融合させれば非常にメリットがあると思っている。何しろ、自動車通勤でなければ、マイカーは大半の時間を駐車場で過ごすことになり、ローンと駐車場代と保険料を支払っているのに随分と非効率な使用をしていることになる。

自動運転車が普及し、携帯端末などから簡単に車を呼び出して移動できるようになれば、自動車の利用率は大幅に上昇し、社会全体で見ても効率化が進むと思われる。また、各家庭にとっても、週末ぐらいしか使わない車にローンと駐車場代と保険料と税金を支払う必要がなくなり、金銭的負担も軽減されるはずである。

だから、私は電気自動車の普及は、それが自動運転の普及ひいては自動車インフラの改革につながる第一歩だと思って賛成なのだが、日本メーカーがガソリン車から電気自動車へのシフトの中で、現在のような地位を保てるのかどうかは気になっている。

先のやり取りでは、スマホのように基幹部品を押さえられれば悪くないとしたが、iモードで最先端を実現した代わりにガラパゴス化が進み、国内の完成品メーカーが没落する一方で部品メーカーは引き続き活躍した結果、基幹部品を日本が押さえている点が目立つようになったのが実情であろう。もし、国内メーカーの携帯電話が世界市場でバリバリ売れていれば、「強力な部品メーカーと優秀な完成品メーカーの強力により日本企業は世界で活躍している」という言説が巷には溢れていただろう。

先のツイートでも書いたが、電気自動車の開発競争で怖いのは、”日の丸○○”のような「日本のものづくりで世界市場を席巻しよう」という誇大妄想的な取り組みを政府が始めてしまいメーカーも参加せざるを得なくなった結果、立派な車は完成したが規格がガラパゴス化する一方で、世界市場では日本と互換性のない規格が普及してしまう、という事態になるのが怖い。こうなると、日本は世界市場向けと国内向けの車をそれぞれ開発する必要が生じるが、これでは開発費が膨らむ一方になり、競争力が失われてしまう。更に言えば、電気自動車が完全に普及するのは10年以上先だと思うが、黎明期に進化の行き止まりとなる方向に突っ走ってしまうと、後になってからそのミスを挽回するのは多大なコストを払う羽目になってしまう。

そして、政府が開発の旗振り役になると「ものづくり」の文脈で話が進む可能性が高い気がするが、これから世界で実用化されていく電気自動車が、交通インフラを置き換えることを目標に開発されるものであれば、そこで重要なのは、単体の車で見れば大量のセンサーからの情報を適切に処理して車の運転にフィードバックしていく制御システムであり、交通インフラとして見た場合、車を必要とするユーザーの求めに素早く応じ、車の使用効率を可能な限り引き上げ、渋滞などで都市インフラに過剰な負荷を与えないという巨大な制御システムである。これらは、下は車に直接関係するレベルから、上は法制度まで広がる幅広い分野で優れたソフトウェアを必要とするものであり、目に見えない世界を制御していくということである。

正直に言って、電気自動車でアメリカや中国が大々的に花火を打ち上げ始めた時、日本の政府が対抗策を打ち出さないとは到底思えない。そのときに、政府が「インフラレベルでの変革を目指していく」と語り、名実ともにその目標に向かっていくなら問題ないが、「ものづくり」の文脈で取り組み始めたら非常に心配になる。

米中の動きを見れば、日本全体で国策として取り組まなければならないとは思うので、経産省や国交省が全力で取り組んで欲しいとは思うのだが、過去の”日の丸○○”の失敗を見ると、「政府が下手に手を出して明後日の方向に進むくらいなら、何もしない方が傷が浅くて済むのではないか」という疑問もあるし、さりとて、技術者でも高級官僚でもない一個人では何かできるわけでもないので、何とも締まらない話ではあるが、結論めいたことは書けない、というのが正直な感想である。こんな一公務員の心配など吹き飛ばす形で、メーカーや国交省や経産省がきっちり考えているのであればとても頼もしいのだが。