学び続けることの大切さについて

仕事が忙しかったり資格試験の勉強に時間を費やしていたら、すっかりブログの更新がストップしてしまった。流石にこれではまずいので、少しずつでも更新していこうと思う。

私がTwitterでフォローしている@sura_taro氏のブログで、こんな記事があった。

考えることを諦めてしまう日の到来の順序について。 – すらすら日記。

一読して頷く所の多い記事なので、感じたところをメモ代わりに書いてみたい。

まず、@sura_taro氏の議論の前提になっているのは、次の認識である。

ここ数年顕著なのですが、変化のスピードが急激に早くなり、「去年のコピー」+「数字の置き換え」ではもう対応できなくなりつつあります。

この認識は私も同感で、公務の現場でも、手本になる過去の事例がない事案の処理が多い部署、大枠は変わらないがアプローチの方法がガラッと変わる部署があり、そうした部署では、過去の知識を引っ張り出すだけではダメで、新しいアプローチを理解して、過去の知識と新しいアプローチを融合していくという、それ自体が新しい取り組みが必要となっている。

また、やること自体は今までと同じだが、求められる精度が今までよりも緻密になり、過去の事例を踏まえて取り組むだけではダメ出しの連発になる部署もある。^1そうした部署では、なぜこの作業が必要なのかといった点を改めて問い直して作業手順を再構築する必要に迫られている。

もちろん、一人一人の職員が学び続ける能力をしっかり持っていれば問題はないのだが、

この「自分で解決法を考える」というの、みんなができるわけではありません。

と述べるように、こうした高度な能力を全員が持っていると考えるのは楽観的すぎるだろう。また、元々そうした能力を持っているかどうかという以前に、過去の仕事が、自分で解決法を考えるよりも、言われたことを考えずに実行するようなものであった場合、時代が変わったからといって、自分の頭で考えて行動しろというのは無理な話である。この点で、若い頃の経験というのは非常に重要なものとなってくる。

加えて、自分で解決法を考えるということ以外にも、対人折衝だったりITスキルのように、向き不向きが大きい能力についても、自分で解決法を考えるという能力と同様に、できない人はどうしても存在している。

こうした時代の変化による労働者への要求の変化が積み重なった結果、@sura_taro氏が述べるように

いろいろな要因が組み合わさって何も「できること」がなくなってしまっていくのを見ております。

という事態が発生してしまうのだろうと思う。

ここからは、元記事の守備範囲を超えた、私が常日頃感じていることを書いていくが、公務に限らず、人員削減を続けると一人一人の守備範囲は広がり、苦手なこともやらざるを得ない場面が増えていく。

オールラウンダー型の人なら大丈夫だと思うが、そうでない人で、実際、不向きな仕事をやらざるを得なくなって苦労している人をそれなりに見ている。人員削減自体、一人一人の業務量を増やすことで各人の負担を増やしていくが、単純な業務量の増加による苦労だけでなく、不向きな仕事をやらざるを得なくなることによる苦労というものも間違いなく存在すると思う。

実際、人員削減が続いているせいで、職員一人一人が担当する守備範囲は広がっているので、一通りのことができるオールラウンドプレイヤーでなければ色々と大変な時代になっていると痛感している。

だから、社会人の再教育であるリカレント教育が大事だという主張に反対する気は無いが、おそらく、教育を受ける前提とでもいうべき能力、言い換えれば、自力で学んで考えてまとめていくという能力から鍛えていく必要があるのだと思う。言い換えれば、学ぶこと自体の必要性を理解してもらう教育、そういうものが必要なんだと思っている。

こういう時代の変化は、他人に文句を言っても解決する問題ではないので、私自身、自分を戒めながら対応し続けていくしかないと思っている。そうやって、少しでも長く、果たすべき役割を果たしていきたいと思う。

上手くまとめられないけれども、この話はここで一旦切り上げようと思う。

教育

Posted by s-show@blog