他人への勝手な期待の危険性について

洗濯して晩御飯作らないといけないことを忘れてTwitterのタイムラインを眺めていたら、次の記事が飛び込んできた。

最初の段落にある「勝手に期待をして、裏切られたと思う、この気持ちが自分の中のフラストレーションを生んでいます。」という一文を読んで、ふと、数年前のことを思い出したので、頭の整理がてらにつらつらと書き連ねてみたい。

数年前に係長に昇進して、やっと部下ができたのだが、最初は距離感がつかめずキツく接することもしばしばあった。しばらくして、部下は、民間経験が少しある非正規職員だったので、私には当然のことでも部下には予想もできないことが多々あるんだなと考えるようになった。それからは、そうしたことを分かるように伝えるのはこちらの義務だと考えて、資料も作成したりしながらレクチャーを重ね、もし相手が分からなければ、それはこちらの力量不足だと考えて工夫を重ねるようにした。

その部下は、私が係長になってから9ヶ月後に留学してしまったが、その次の部下は正規で雇いたいと思うほど優秀だったので、前年とは打って変わって、こちらの負担は大幅に減少することとなった。

ところが、その次の年に係長が1名減らされてしまい、私がその減らされた業務を兼任することになってしまった。さらに、減らされた係長の下にいた部下(こちらも非正規)の教育で苦労することになった。というのも、その部下の主な業務は受付業務だったので、採用基準も受付嬢としての適性であった。しかし、係長が1名減らされた煽りを受けて、その部下にも事務作業を任せざるを得ない事態になってしまったからである。

こうなっては仕方ないのと、こちらも受付嬢としての適性を買って採用したことと、そもそも、本人の職務経験も対人業務に特化していたことを踏まえて、「事務処理が苦手なのは当たり前。むしろ、この部下がテキパキと動けるマニュアルを作れれば、今後誰がきても業務を回せるはずだ」と考えるようにした。

そこからは、その部下とも相談しながら、それまで口伝えで代々伝えられてきた業務の手順を可能な限り文書化するようにした。文書化に際しても、最初は私が全部作っていたが、途中から、自分は基本的に助言に留めて本人に主体的に作ってもらったりした。そして、本人がマニュアルを作れたら、「自分ならこう書く」とか思うところは封印してその成果を認めて公式に採用し、そのマニュアルに基づいて業務を処理してもらい、上手くいったところを成長として認めるようにした。

自分の経験を振り返っても、このときが一番人を育てるというか、人と協力して仕事を進めること意識していた気がする。

その次の3年間は、このときの経験を応用して対処することができた。

しかし、さらにその次になると、この経験が応用できない事態に遭遇した。具体的には、部下は正規職員なのだが、自分以外の係長クラスは全員非正規という事態に遭遇したのである。

「部下が正規なら苦労も少ないのでは?」と思うかもしれないが、この事態の問題は、自分と職務上は同格の同僚3名が非正規ということの方にある。

というのも、職務上は同格ではあっても本人達は私を上位に立てて接してくるのだが、こちらからすれば、職務上は同格なので上下関係を元にした命令はできない。それでいて、上司からは「指導をよろしく頼む」と言われてしまうが、指導というのは上下関係がベースにないとスムーズにできるものではないので、指導というよりも、知識の伝達が中心になってしまう。

さらに、3名のうち1名は元地方公務員で、今の職務に近い業務の経験もあるのだが、こうなると、公務員の暗黙知や業務知識は概ね知っているはずと期待してしまう。しかし、国家公務員と地方公務員の差なのか、はたまた何が原因なのかは不明だが、「これぐらいは知っているはず」という期待が片っ端から外れてしまい、終始イライラしてしまう。

宗教戦争では異教徒よりも異端者との戦いの方が苛烈になるというが、冒頭に引用した「勝手に期待をして、裏切られたと思う、この気持ちが自分の中のフラストレーションを生んでいます。」という思考回路は、まさにこの状況に、そして自分の状況に当てはまるのではないかと思う。

この解決策は、

良いこと、悪いこと、やってほしいこと、やって欲しくないことなどの期待を、事前に合意しておかないといけないなということです。

になるのかなとは思う。もちろん、これは「言うは易く行うは難し」の典型例だと思うので早速実行できるようなものでないが、せめて、「勝手に期待する」ことだけは慎むようにしようかなと思ったところである。

なんだかまとまらない文章だけど、自分の頭の整理が第一目的なのでここらへんで終わりにする。読んでいただきありがとうございます。