【読書記録】忘れられた日本の村

本の概要

著者の筒井功氏は、元共同通信社の記者で、正史に登場しない非定住民の生態や民俗の調査・取材を行っている。

本書を一言で紹介するのは難しく、著者も本書を「エッセイとも旅行記ともつかない妙な内容の著述」と後書きに記している。学術書ではないが、風景の美しさや旅情とやらを紹介する旅行記でもないし、旅の感想を述べるエッセイでもない。著者が、民俗学や歴史の研究成果を踏まえ、実地調査も行い、そこから得られた知見をまとめた書物、というのが本書の簡単な紹介になるかと思う。

現在の町や村が見かけは似ていてたしても、少し古い時代に遡れば、様々な歴史を辿ったために豊かな個性を持つ町村は多数存在していた。例えば、全戸が狩猟を生業にしていた、芸能を演ずることで生活を支えていた、無籍の漂白民が集住して一村をなした、など非常に個性豊かな町村が多数存在していたのである。そうした個性は、通りすがりに一瞥しただけでは気付くことのないが、文献を紐解き、現地を訪れ、人々に話を聞くことで見えてくるものであり、そうして見えたものを文章にしてみたいという著者の思いから本書は生まれている。

本書で紹介されている村は、南は大分県から北は秋田県まで7つあり、それらの村が辿った歴史に触れることは、日本が辿った歴史の一端を垣間見ることでもある。

感想

特に個性的な村を選んだはずなので、出てくる村の歴史はどれも面白いものばかりである。歴史学者の網野義彦氏は「日本の東西間の違いは、日本と外国の違いより大きいのではないかと思う」と述べていたが、本章に登場する村々を見ていると、日本には豊かな歴史があるという思いが非常に強くなる。

ただ、その豊かな歴史は、歴史教科書に掲載される大事件ではなく、歴史教科書に登場しない人々の日々の営みが積み重なってできたものであり、どうしてもその歴史を確認したいと強く願う人が探さなければ見つからない。この本を読むと、そうした歴史の痕跡を探そうと、古い地名、地元の祭り、はたまた地元民の良く知る場所についてもっと知りたいと思うようになってくる。戦後の高度経済成長で山間部から都会へ人が大量に移動し、昔のことを知る人がどんどん減っていることを踏まえると、そうした歴史を掘り起こすことが出来る時間も、そんなに残されていないと思う。だからこそ、そうした歴史を掘り起こすことは大切なことだと思う。

特に印象に残った部分

どれも印象に残るが、一つ挙げるとすれば、本書第六章に登場する徳島県美馬市穴吹の三ツ木が一番印象に残る。四国の徳島県美馬市木屋平字三ツ木という山奥に三木家(場所は下の地図参照)という家がある。その住宅は母屋の平屋だけで建坪200平方メートル余り、茅葺きの江戸時代初期の建築であり、1976年に国の重要文化財に指定されている。とはいえ、本章の主題はこの建物についてではなく、この三木家が果たしてきた役割である。

三木家は、天皇が大嘗祭(天皇が即位後初めて行う新嘗祭のこと。詳細は脚注のリンクを参照1)を行う際に着用する麁布(読みは「あらたえ」。麻布で作った服。)を貢納する家であり、貢納が始まった時期は、伝承では古代から、文献で確認できるところでは文保2年(1318年)からである。この麁布の貢納の話を紹介し、そこから三木家を含めた村の歴史を、平安時代の京都の動きと絡めながら現代まで描き出していく。それは、三木家が古代の阿波忌部氏にまで遡るという話から始まり、後醍醐天皇即位の際の大嘗祭に麁布を献上し、その繋がりで南朝側に立って戦ったこと、百姓身分でありながら苗字帯刀が許されていた江戸時代の状況、そして、地区の発展や村の歴史書の執筆に尽力した明治・大正までの歴史であり、村が辿った歴史を描くことでもある。

この本を読むまで、天皇が執り行う神事で使う物は、宮内庁で作るか皇室御用達の店から購入しているのかと思っていて、四国の山奥にある一つの家が貢納しているとは夢にも思っていなかった。見方を変えれば、今は途絶えているとしても、昔は三木家と同様に天皇家に何らかの品を貢納していた家が存在していたのではないだろうか。もし、そうした家の歴史を振り返ることが出来たなら、多彩な歴史を有する村が日本には多数あったことが裏付けられると思う。