【読書記録】日米開戦と情報戦

本の概要

日米戦争の開戦決定過程を、インテリジェンスの問題も視野に入れて再検討する著作である。著者は、南部仏印進駐(1941年7月末)以降、日米開戦に到るまでの決定過程については『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮社、2012年)で道筋を説明していたが、同書では南部仏印進駐に至った経緯や、英米の動向については最小限にとどめていたことから、本書でそうした点を補うとともに、政策決定に密接に関わるインテリジェンスの問題も取り上げている。

本書が対象とする期間は、1940年7月から1941年12月の真珠湾攻撃の直前までの期間であり、日米双方がどのような情報を基にし、その情報をどのように評価しながら政策を決定したのかという過程を描き出している。それはまた、情報の入手方法と評価軸を巡る問題を描き出すものでもある。

感想

敵国の暗号を解読すれば機密の通信を読むことができる。しかし、暗号文を平文に戻せたからといって、その平文を"きちんと"読むことができるとは限らない。

開戦前の日本と英米は、相手国の暗号を解読して平文に戻すことに成功していた。そして、解読した情報は最高機密情報として管理し、政策立案者が首相や大統領が直接目を通していた。日英米の過ちは、解読情報を読み解くという仕事を、情報の専門家ではなく、政策立案者や首脳が行なってしまったことであった。彼らには、得られた機密通信の行間や文脈を読み取る力量は欠けており、また、自らに都合の良い情報ばかり集める傾向にも無自覚であった。

さらに、日本の暗号の解読文は、漢字を含まない音だけで構成された文章であった。例えば、「御前会議」を暗号化して送信して英米が解読した場合、得られる情報は「GOZENKAIGI」という日本語の音だけであった。これを日本語に翻訳する際、通訳の力量によっては「GOZENKAIGI」を「午前会議」と訳すこともあった。これはマシな方で、中には悪意を持って翻訳したとしか思えない翻訳もあり、それはアメリカ側の対日不信感を増幅させることとなった。一方、日本側にはそうした問題は原理的に起こり得ないため、得られた平文をそのまま日本語に訳せば良いという有利な立場であったにも関わらず、そもそも暗号文を読んでいた陸海軍の首脳部がアメリカについて無知であったため、自らの行動がアメリカにどう解釈されるのかという点を見誤ることとなった。

しかし、機密の通信を読むことができているという事実は、アメリカに「自分たちは日本の出方を知悉している」と思い込ませることとなった。日米は、お互いに機密通信を読んでいたが故に、相手からのメッセージについて、双方でコミュニケーションを重ねてその意図を探るという行為を軽んじることとなり、それが結果的に深刻なコミュニケーションギャップを生むことになった。

ここで非常に示唆的なのは、そうした暗号解読情報に接することはできないが、相手国のことは熟知している外交官——幣原やグルー駐日大使——は、公開情報と相手国に対する深い理解を根拠として、相手の出方を正確に予測できていたことである。そこから得られる教訓は、たとえ苦労の末に解読した暗号文であったとしても、その情報は単なるインフォメーションであって、インテリジェンスでは無いということ。そして、そうした情報を慎重かつ正確に評価できる専門家に評価を依頼し、その意見を尊重する文化がなければ、たとえ軍や政府の首脳であっても、情報の評価を誤ってしまうということであろう。

その結果は、日本は無条件降伏をして明治維新以降の成果のほとんど失い、英国は勝利したが、植民地を失い大英帝国の栄光を完全に失うこととなった。アメリカも勝ったとはいえ、日米間の原則的対立の中心だった中国は、アメリカの巨大市場となることはなく、竹のカーテンの向こうへ消えていってしまった。日本との戦いに投じた労力に見合う成果を得られたのかは疑問であった。

こうしたことを踏まえ、著者は最後に日英米の情報戦の結果を次のようにまとめている。

戦争では、どの国も過誤を犯す。そして、より少なく過誤を侵した国が勝利を収める。情報戦でも、日英米何れもが過誤を犯した。その結果が、あの戦争だった。最も少ないコストで目的を達成するという観点からすれば、日英米いずれも開戦前の情報戦に敗れたのである。